マチュピチュでテンプラ食った天空の城

   



一番のお気に入り写真です。同じ場所でのどなたかのマチュピチュ写真で見かけて、こんな場所あったのかとずっと悔しがっていましたが写真の整理していたら、なんと自分が写っているのがあったのであります。めでたし、めでたし  写真別名「あるぱかとわたし」 アルパカなのかリャマなのか定かでありませんがリャマの場合は「ありゃま〜とわたし」になります。当時ジャズトランペッターの日野皓正さんが大人気で 、そのようなマッカーサーサングラスをいきがってしているようです。本当は天婦羅は食べていません。

1977/08/15 のことでした

  リマで印象深っかったのは天野博物館に行き芳太郎さん(創始者)の息子(孫だったか)のヒロシさんのインカの講釈でありました。嘘だか本当だかずばっと年月日、時刻が出てきて歴史が説明されるのであります。
 「1533年5月17日の早朝6:33カハマルカのアタハルパの城壁に攻め入ったピサロは、王を守るインカ兵をバッサバッサとなぎ倒し、王を捕らえここに帝国は終焉をむかえることになったのであった・・・」などなど(いいかげんに書いてますからね) ・・・などと昔書いていた「ヒロシさん」が2009/03/15の朝日新聞に登場していました。
「せせこましい日本によくいられますね」「まったくですね」との会話をしたのも思い出しました。
 今まで「天野博」とかでしか検索していなかったので、筆者の前に出現しなかったようです。やはり芳太郎の孫で「阪根博」さんだったのであります。1970年代前半にリマに渡ってずっと研究しているの とのことなので講釈をお聞きしたのはリマ転居の数年目だったようです。もはやリマの日系人で知らない人はいないような存在でした。そして、新聞の内容は
 
今からおよそ5千年前に遡るアメリカ大陸最古級の「神殿」と思われる「ラス・シクラス遺跡」・・・
との内容でヒロシさんは一躍シュリーマンになっていたのでありました。詳細は「天野博物館」の公式HPに書いてあります。