アンデス・クスコ・マチュピチュ

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1977/08/09アンデスへ出発。
 数時間で3000mくらいまで登っていく電車の旅はアンデスに来たんだなと実感させてくれました。オロヤの付近の山は日本では見ることのできない絶景でありました。
 ワンカイオの駅付近に雑貨屋さんがあり、日本人のオバチャンが店主でした。たしかバナナなど買った覚えありです。リマに戻ってから日本人の移民100?周年記念式典に連れて行かれ、再会してそのオバチャンがリマの知人Aさんの親しい人で、山形の出身者だということを知ることになりました。

高度3500mくらいの地点。オロヤ鉱山の近くで電車は停車しました。まさしくアンデスって言う感じで日本では見ることの出来ない山です。 MapA 電車には酸素ボンベが積まれており、車内で高山病になり吸引しているお客さんもいました。 電車の終着駅はアンデスの町ワンカイオであります。
MapB
時間いっぱいあったのかペルー人のオジさんとK君の記念写真。(なにが記念なのかよくわかりませんが)
K君は人気があります。ケチュア語(インディオ語)も少し知っているので、それで話しかけたりすると子供たちが寄ってきます。そこでパチッ ワンカイオは山間の小さな町でした。 写真はクスコへ着いてからのものと思われます。やはりアンデスの観光地です。路地は常に多くの人で溢れています。 やはりクスコの繁華街だと思います。新しい町へ着いた時まずするのが宿泊先探しです。
ドサクサでインディオさんのすごくイイ表情の写真撮っていました。 ほら、右のオバさんたちは疲れた表情でしょう? 籠を市場に運んでいるインディオのオジさんです。顔が真っ黒でよくわかりませんが白い歯があるので、この人も笑っているようですね。MapD 教会の前には必ず広場があって人々の集まる場所になっています。
クスコ市内のインカの壁です。壁の上に筆者が立っています。 インカ人は几帳面だったんでしょうか、とにかく形が揃っており隙間もないすごくりっぱな石組みであります。 インカ壁の上が住宅になっている場所もあります。っていうか一体化しています。石畳もすごくイイですね。 カミソリの刃も入り込めない精密さであります。
石畳の上を歩いているK君です。 長方体でない日本の石垣のような適当な形の石垣もありました。 クスコの繁華街をパレードが通ります。メンバーはなんとなくしょぼくれています。 クスコの中心であるアルマス広場のサント・ドミンゴ教会です。
大きな教会の前のK君です。 泊まったホテルの近くの路地です。若い女性はほとんどが左の女性のようなパンタロン姿 サクサイワマン城壁へ登る道でなんか変な生き物の群れが下から登ってきました。 クスコ郊外の丘に登ると、それこそ砦っていう感じでサクサイワマン城壁が迎えてくれました。
サクサイワマン城壁は、インディオたちによる年一回『太陽の祭り』が開催される場所なのだそうです。 「お〜こりゃすごい!」って感激していたはずです。 城壁の丘からはクスコが一望出来ました。煉瓦の色が町を赤っぽくしています。 じゃまものをどかしたクスコ一望の写真です。
「さて世界遺産人気ナンバー1のマチュピチュへ行かないわけにはいかない」って出発しました。 前写真のモノトーンバージョンです。 マチュピチュの麓のアグアカリエンテスという駅で降りてブラブラしているK君です。 アグアカリエンテスには温泉がありまして、ペルーのオヤジさんと同浴しました。
いまさら顔隠しなど必要ないのですがK君の簡易シャワー姿です。 マイクロバスでつづら折の坂道をマチュピチュへ登ります。急峻なウルバンバ谷(川)を見下ろしています。MapE 「言われたら 気持ちが悪い ウルバンバ 当時はあちこちで修復作業をやっていましたが、現在はこの写真群よりかなり整備されてるんでしょうね
この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。 端の神殿にあるインティワタナという石です。日時計だとか太陽を祀る施設だとか、いろいろな説があようです。 峰の名はワイナピチュです。細い登山道があって頂上近くまで登りました。 持っているカメラはミノルタSRT101
遺跡全体がコンドルに見える」などの話も聞いたような覚えがあります。 崩れた石を丁寧に積み上げ直ししている途中のようです。 マチュピチュは1911年にアメリカ人の歴史学者ハイラム・ビンガムが再発見した。 インカ人の要塞ではなかったのかと言われ続けてきましたが、最近の研究では太陽を観測するための建物群と推測されているそうです。
本神殿のすぐ隣にある建造物で、太古の建造物に見られる特徴的な窓が見えます。 「最盛期には1万人〜2万人の人口があったのではないか」っても言われてきました この都市はインカの王パチャクティ(Pachacuti)の時代の1440年頃に建設が着手され、 現在(2009)ほど観光客多くは感じられません。
これほどの傾斜地だと、夜におしっこのため外に出たら足を踏み外しそうですね。 右前の壁には戦窓のような穴があります。 ウルバンバ川からの高度が確認できます。 この突起物はなんのためのものでしょうか?
一番のお気に入り写真です。写真の整理していたら、なんと自分が写っているのがあったのであります。めでたし、めでたし