東交民巷・北京の城壁 クリックすると大きい写真
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華北交通本社は現在の北京飯店新館になっていたのだった |
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1.Tzu-chin Ch'eng. 2.Tsung-jen J-u. 3.Li-pu. 4.Tu-chih-pu (formerly Hu-pu). 5.Li-pu. 6.French Hospital (St-Michel). 7.U.S. American Guard. 8.U.S. American Legation. 9.Netherlands Legation and Guard. 10.Russian Guard. 11.Russian Legation. 12.Russo-asiatic Bank. 13.Banque dc I'Indo-Chine. 14.Hotel des Wagons-lits. 15.German Post Office. 16.Russian Post Office. 17.Hongkong and Shanghai D.C. |
18.Yokohama Specie Bank. 19.Spanish Legation. 20.Japanese Guard. 21.Japanese Legation. 22.French Post Office. 23.French Legation. 24.French Guard. 25.French Catholiquc Church (St-Michel). 26.German Legation. 27.Belgian Legation. 28.German Guard. 29.Deutsch-Asiatische Bank. 30.Stores. 31.German Lazaret. 32.Hopkins Memorial Hospital. 33.Electric Station, |
34.Imperial Maritime Customs, Residences and Head Offices. 35.Peking Club. 36.Imperial I'osl of China, Secretary's Office. 37.Inspectorate General of Imperial Maritime Customs. 38.Austro-Hungarian Guard. 39.Austro-Hungarian Legation. 40.Italian Legation. 41.Italian Guard. 42.British Legation 43.British Guard. 44.Portuguese Legation. 45.Chinese Post Office. 46.Hotel de Pekin. 47.Peking Han-k'ou R.R., Head Ofiice. 48.International Banking Corporation. 49.Mexican Legation. 50.Telegraph Office. 51.Hotel du Nord. |
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この写真も謎だった。まあ近代的な建物が多く、空地が多いなと思っていたくらいだったが、右上隅に上写真の『華北交通』ビルが写っているのを発見。とするとここは『北京の55日』で有名な『東交民巷』じゃあないか。地図の37、40は地図と同じ形の建物が写真に残っている。37は中国の海軍関係の事務所、40はイタリア公使館、35の場所が北京クラブとなっている。24はフランスの兵営だった。40の左に日本公使館や兵営がある。 |
玄関の前にロータリーがあり、その中央にあった噴水だ。 |
東交民巷教堂(多分地図25) |
北清事変の写真の中に、前門周辺の連合国軍のスナップ写真がある。その中にこの写真に写っている凱旋門のような小さい門があるのだ。前門からの距離は100〜200mくらい。前門の西側のような気がする。 |
すべてはこの写真から |
ペキンの55日 |
・・・・・フィクションの部分多いので歴史資料とは考えないでください |
編集後記
まず47の建物が『華北交通』ビルと判明し、その場所を地図で確認している途中に『東交民巷』の場所がわかりました。そして上地図の原本を発見し、航空写真と照合すると多くの建物や道路などまさに地図のとおりに当時存在していました。 |
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北京は昔大きな城壁に囲まれており、毛沢東が全部ぶっ壊したと話には聞いていましたが、その証拠写真がありました。 歴史は語るシリーズ第2弾。 多分、北京内城西側の門、阜成門 |
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箭楼、正陽門(前門)。正陽門から北京の内城と外城を分ける城壁が東西に伸びていた。現在は門と一部の城壁のみが残るのみ。正陽門の右のほうが天安門広場になり、毛主席記念堂や人民大会堂などがある。また、この辺りはペキンダックレストランが建ち並んでいる。 地図の正陽門 |
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前の写真と同じなのだが道路と河川かなり整備された。1年以上は経過した写真と考えられる。そして写真右上城壁と沿っている屋根は多分当時の北京駅と考えられる。現在の北京駅はやはりこの城壁の線上だが、かなり左下、3km地点あたりにあるようだ。 上の写真から下の写真にかけて華北交通で鉄道を建設したのだろう。 ・・・上記は写真発見当時のコメントだけど、長い期間の研究の結果?多分、北京内城西側の門、阜成門で、コメントは、フェイクだったようです |
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