南米怪人のプロフィール

昭和24年 月 日 AB型

 南米大好き人間で25年間くらいの南米生活。ペルー リマからベネズエラ サンディエゴ(職場はティファナ)を転々と。奥さまもリマで見つけた美しいペルー人。スペイン語ペラペラ、英語へラへラ。
 山変人がブラジル・アマゾン移住しようと思い立ち1977年に南米に行った時、リマの空港まで迎えに来てくれたのが彼でした。山変人はアマゾンの蚊にまいってしまい移住を断念したのですが彼は引き続き現在までの南米生活。今思えば山変人ももう1〜2年滞在し様子を見れば良かったななどと思うことも多々あります。
 現在はある会社の社員としてサンパウロに在住開始。サンパウロ2号であります。1号が筆・写真不精であまりページ稼ぎできなかったので山変人としては2号に期待するところ大であります。


2001/12/14

 貴君知ってのとうり、こちらは夏。 日によっては雨(スコール)の降る雨季ですが、太陽がでるととても暑い。電力事情で事務所のクーラーもつけられず、団扇をパタパタさせてしのいでいる。

 11月頭にフラリとブラジリアまで行って来た。
金曜日の夜7半頃、サンパウロの長距離バスターミナルから夜行バス(日本の長距離バスより快適)で14時間。翌朝10時前に到着。 距離数 1,092km。土曜の日中にブラジリア市内をブラブラ、政府関係の建物を見ながら、夕方5時には再びサンパウロに戻りためバスターミナルへ・・・。  サンパウロ着、日曜日朝8時。シメテ、0泊3日の旅でした。

 往路のバスは、全席ベッド。 復路は座席。全国バス路線は非常に発達していて、日本とは比べ物にならないほど便利かつ立派なバスが走り回っている。二階建てバスも走っている。
これらのバスはほとんどがブラジル製。 もっともメーカは皆外国の会社でブラジルの工場で生産してるものですが。

 バス旅行の面白さは、途中途中で立ち寄る(約3h毎)ドライブインで、次から次と到着したり、出発して行くバスの乗客と言葉を交わしたり、バスの行き先を見たりすること。
今回は、最長不到距離のような、アマゾン河口の都会べレンからサンパウロに向うバスがドライブインに着いて、バスから乗客がゾロゾロ降りて来たのを目にした時には、思わず親近感を感じ
「ファルタ ポキーニョ アテ サンパウロ!(サンパウロまであと少しだ)」
 と声をかけてしまった。
べレンからサンパウロまで3,500kmぐらいだと思う。 約50時間の旅。
そう言えば、昔よく長距離バスに乗ったよなー。

その時のブラジリアの写真と、6月に仕事でフォス・ド・イグアスに行った時の、ブラジルーパラグアイ国境ゲートで生活物資を運搬(BRA→PAR)してる車の写真を添付します。

では、またその内。   

ブラジリア フォス・ド・イグアス フォス・ド・イグアス

写真クリックで大きい写真

2001/07/09

サンパウロ市内における 6/15〜6/23 の凶悪犯罪発生状況の表がFAXされて来ました。
殺人・強盗で89件 期間中 100名くらいの人が死亡しているようです。

以下通信文

世界第4の都市サンパウロ

--国連「ミレニアム都市」白書 2000年版 から--

 @ 東京            2,640  万人
 A メキシコ           1,810  万人
 B ボンベイ           1,800  万人
 C サンパウロ        1,780  万人
 D ニューヨーク       1,660  万人
 G ブエノスアイレス  1,260  万人
 N リオデジャネイロ  1,060  万人

「何でもあり。」の中南米。
人殺しもこの通り。
日本も物騒だがこちらはもっと物騒。でも楽しいところ。
毎日、生きている実感をえることが出来る。

2001/07/01

どーも、 いままでゴタゴタ、バタバタとしていて今日やと気分的に落ち着いていますので、貴後輩(俺にとっても米沢の後輩になるようだが)のTS氏自宅にたった今TELしたが、不在のようで連絡とれず。夕方にでもまたTELする。

ところで、先日妻もサンパウロに来て、ブラジル居住手続きとアパートの物色と賃貸契約をして、10日間の滞在を終え一時USに戻った。俺は7/15にサンディエゴに戻り、あらためて8/1から妻と共に犬2匹を連れてサンパウロに引越して来ます。

サンパウロは今、寒かったり温かかったりの繰返しで、まま過ごし安いです。

添付写真は、パウリスタ通りにある事務所(ビルの16F)から市内を眺めた風景です。

以上   

サンパウロ市内の写真  
    


 

 

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