唐松観音 2001/02/25


 源義経伝説に登場する『金売り吉次』の父が『炭焼き藤太』といい、京都一条院息女の豊丸姫が妻であった。豊丸姫が望郷の念にかられ、京都の清水寺をまねて山の岩肌に「唐松観音堂」を建立したとのこと。
 付近の『宝沢』の地名は平安・鎌倉時代、金や銅、砂鉄などが採掘されていたことに由来するらしい。
最上義光は唐松観音堂を楯とし、伊達政宗の攻略に備えて番人を置いた。
1976(昭和51)年に再建された。最上三十三観音五番霊場。

 

 

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