開高健記念館訪問記 |
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開高健記念館 : 開高さん一家が他界されて後に、遺族が自宅を |
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ラチエン通り |
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2 開高記念館の門 |
1 ラチエン通り 南北に走る『ラチエン通り』(サザン・桑田の歌にありますな。通称として使われていたが、2001,2に、 |
2 開高記念館の門 右の表札には、開高健・牧羊子(奥様のペンネーム)。いかにも湘南という、瀟洒な佇まいでした。因みに、牧先生は、詩人にして料理の達人。料理随筆は、的確かつ、おもろいでーっ。 |
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3 作家の箴言の碑 |
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4 記念館入り口 |
3 作家の箴言の碑 玄関近くにある、直筆の箴言の碑:「入って来て人生と叫び、出て行って死と叫ぶ」。開高さんは、詩人または天性のコピーライターかもしれない。彼の武器は、深くて鋭い言葉であった。 | 4 記念館入り口 右に小生も写っているが、作家と結構似ていることもあって、勿論カット。 | ||
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5 展示室 |
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6 『出張の復命書』 |
5 展示室 実に良き雰囲気。引き出しには各種資料が展示されている。とても興味深い。案内役の男性も受付の女性も、とても親切であった。 | 6 『出張の復命書』 作家・開高健が寿屋(今のサントリー)の社員として宣伝業務に携わっていた頃の『出張の復命書』。とても興味深いものでした。仕事はコピーライターだけではなく、雑誌(洋酒天国)の編集から何からいろいろと。 | ||
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7 ベトナム従軍関係 |
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8 ジッポ片面 |
7 ベトナム従軍関係 ベトナム戦争を取材した際の品々。日の丸には、万が一に備えてベトナム語で『記者である』ということが書かれている。右下のジッポは、作家が生涯手放さなかったもの。8,9参照。 |
8 ジッポ片面 記念館の文から : 「開高さんは、65年2月14日、ベトナムでの従軍取材中に200名の部隊がベトコンに包囲急襲され、僅か17名が生還するとの過酷な体験をしました。開高さんは、サイゴンの路地裏にあった彫り物屋でジッポに1/17と刻み、さらに弾除けの呪文を刻み込んでもらって、以後持ち歩きました。開高健メモリアルジッポは、遺された愛用のジッポをそのままに複製したものです。」 |
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9 ジッポもう片面 |
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11 作家の部屋 |
9 ジッポもう片面 記念館で販売されているジッポ。もちろん買ってきたもの。『1/17 D-ZONE Feb. 14, 1965』とある。1/17は、生還した17名の一人の意。D-ZONEは、従軍した危険地帯のこと。ジッポはごく普通のタイプです。しかし、蓋を開けてチンと音をたてると、作家が側にいるような気持にふとなることがありまする。8,000円也。 |
11 作家の部屋 生前のままにしてある由。右手には、釣りの道具などがあった。世界中を釣り歩いた男。『男が人生で熱中できるのは危険と遊びだ。』奥地での釣りは、危険な遊び?かも!! 座って書く方は、すぐに寝られるし、飲んで潰れても安心・・・なーんちゃって。
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12 東屋風の建物と庭 |
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12 東屋風の建物と庭 右手に進むと、作家が「哲学者の小径」と名づけた細い道が続く。 |
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