最上川・西部幹線トンネル出口付近
2015/10/10
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朝日町の最上川から山形市まで農業用水をトンネルで持ってきているという話を発見
その取水口は、山辺から玉虫沼経由で朝日町に行く道路が国道287号線と交差する朝日町字四ノ沢地内の橋の北側にあります。
最上川頭首工
工期が昭和55年度〜61年度となっているので、1986くらいの完成のようです。
最上川頭首工を四ノ沢集落にかかるの八天橋の上から
八天橋は1989に完成と新しいため、いろんな地図には名前が載っていません。
最上川の上流方面はちょうどこの時、黄金色
取水入門 高さ 1.7m 幅 3.8m 門数 2門だそうです。
そして、最上川の水は取水口と大曽根小学校を直線で結んだ西部幹線トンネルを通って、小学校のちょっと東に出現します。
土地改良区の施設図面では直線のようなので、直線と書きましたが真偽は不明
トンネルの中の太いパイプを通って、ここまで来るようです。
どっかに点検口とか、地上から分かる施設があるのでしょうけど、未調査のため不明
山辺用水路側
最上川中流農業水利事業は、山形市他2市1町に広がるおよそ5000haの農地を対象とし
用水不足の解消と用水系統の合理的再編を目指して
昭和47年に着工した国営かんがい排水事業
山形盆地を貫流する須川は、強酸性の水質のため、かんがい用水としては利用できず
従来この地域の農業は、小河川や地下水に依存せざるを得ない状況でした。
そこで、出羽丘陵を隔てて西側を流れる大河=最上川から直接水を引くという壮大な計画が立案されました。
それは、当地において、百年来の悲願でもあったのです。
事業の目玉は、最上川の本流に取水口を設け、そこから9.4kmにも及ぶトンネルを掘るというものです。
この「西部幹線トンネル」は、当時、農業用水路としては国内最長のトンネルだと言われています。
しかし、その工事は難航を極めました。建設途中、二度にわたるガス爆発事故が起き、18名もの尊い命が失われました。
事業は、こうした幾多の困難を乗り越え、着工から実に15年もの歳月をかけ、昭和61年に完工を迎えます。
以上、記録映画「総集編」の説明文書からの引用終了
トンネル出口からちょっと南下し、古館に西部幹線用水路中央分水工ゲート
竣工年月2005
プレートガーター構造ローラーゲート
けっこう大きい水槽だ
変電所が併設されているが、この分水工に発電設備はないようです。
漬物で有名な醤油屋さんの赤煉瓦煙突が、ちょっとあっちに見えます。
製品プレート
説明の文章に18名もの命が失われたとあるが、そのような大事故があったとは、不本意ながらまったく知りませんでした。
事故は昭和51年と53年に起こったということなので、筆者は県外で働いていたため、山形新聞もテレビのローカルニュースも見てなかったようです。
その時分は、そもそもニュースっていうものに、あまり興味がなかったような
『この「西部幹線トンネル」は、当時、農業用水路としては国内最長のトンネルだと言われています』についてですが
延長約9400mということで10km弱の距離のようです。
国内最長なら、それなりに、みんなが知ってるかと思いきや、誰も知りません。
『農業用水路』 『国内最長』でググったら、北海幹線用水路というのが総延長80kmという長さでした。
ただし、それに『トンネル』を加えると、この最上川トンネルが一番上にきます。
まあ、ほとんどが地下のパイプを通ってるのだから、見えないし、話題性にも乏しい・・・ってことになるのでしょう
茨城県の竜神大吊橋くらいの水路橋でも、どこかにあるとしたらすごかったのに・・・
今度はもっと情報を仕込んでから、再トライということにします。
最上川・西部幹線トンネル出口付近レポート・・・続く(いつになるかは不明)