寒河江市・二ノ堰親水公園
2016/08/14(日)
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二ノ堰サイフォンから、チェリーランドの向かい側に流れ着いた二ノ堰
二ノ堰(八鍬堰)は寒河江川の右岸から取水しており、建久年間(1190年ごろ)最上川流域としては最も古く建設された河川施設
南北朝時代から室町時代初期(14世紀ころ)にかけて、寒河江城主大江氏(寒河江氏)が城郭を内楯(寒河江市丸内)に築くにあたり、
堀に水を引くため新水路を掘り造ったという。
豊富な寒河江川の水を灌漑に利用することにより、寒河江川扇状地右岸の水田開発が行われた。
現在は、二ノ堰用水路の一部が親水公園に改修され、市民や県内外から訪れる人の憩いの場として利用されている。
また、親水施設の管理は地域の企業や住民と一体となった「二の堰グラウンドワーク」活動により地域ぐるみの管理が行われている。
チェリーランドの国道112号線の向側にあるお蔵
二ノ堰、ふれあい村
水車
寒河江川の水は冷たいので、このような広い水路をゆったり流して、農業に適する温度に上昇させるとのこと。
八鍬のサイフォン地蔵尊あたりでは、たいした水量ではなかったように感じたが、浅いせいなのかかなり大きい川になっている。
寒河江市の市役所や合同庁舎があるメインストリートの西側に沿って二ノ堰は南下していく。
さくらんぼのボブジェのある橋があって
その地下が自然水族館になっている。
あまり期待しないで下がっていく
自然水族館。地下に川が見えるように透明板が貼られているが、東根、小見川のイバラトミヨ観察所と同じく、良くは見えません。
右側、寒河江市民体育館
右側、寒河江市民文化センター
二ノ堰石持除塵機施設
二ノ堰石持除塵機施設
二ノ堰石持除塵機施設から上流
拡大すると鴨がいます
二ノ堰石持除塵機施設
堰をきれいにする施設のようです。
西根への分水ポイントが接近
向こうは東なのに西根
昔昔、『藻が湖』という湖があって、その東西の町が東根と西根となり、そこを流れる川が、湖の名前から最上川と呼ばれるようになった
石持町で二ノ堰はほぼ半分に分水され、直角に東方面に曲がり、西根に流れていく。
湧水ひろば北側の交差点にある案内板
湧水ひろば北側の太鼓橋
湧水ひろば北側の交差点
湧水ひろば手前の水道橋
湧水ひろば
木の橋とか分水工があって
丸い、いかにも円筒分水工(円形分水工)のような、湧水噴射口がある。円筒分水工とのちがいは、分水するための分水壁がないということ。
湧水って書いてあるが、二ノ堰上流から、この噴射口の下に、パイプかなにかで、川の水を持ってきていると推測
湧水に見せかけようと『もがいた』が、川の水だという証拠に『藻がいた』・・・本当の湧水だったら、どうしよう
壁面に空けられた、穴の大きさに従って2方面に分水されていきます。
明らかにどこかで『円筒分水工』の知識を持っているエンジニアの作品と考えられますし、円筒分水工の一種って言っていいのかもしれない・・・
大きさは村山市の長峯分水工より、ちょっと小さいかといったところ
寒河江川の伏流水と二の堰の水を用いた寒河江の天然氷。山岸の雪屋と称した三軒の雪屋(菅井・水戸部・井上家)で作られた。
その創業は明らかでないが菅井孝太郎家では、すでに明治14年に明治天皇に氷を献上している。
井上勝蔵家では、ツツミの広さ約10アール。12月に水を張り、夜中に何度も起きて、降った雪を払い、穴をあけて氷の厚さを測って切った。
戦後、進駐軍がやって来て、ムロから氷を徴発していった。同家の祖母が抵抗したがだめだったという。
昭和24年、衛生面から山岸の雪屋は廃業した。
寒河江市役所西側に、龍の口から水が出ている親水公園があった。
ドラゴンヘッド
右手前方、澄江寺
左手、澄江寺の壁
澄江寺と法泉寺の中間地点から南方面
法泉寺の東側
フローラSAGAEのちょっと西の県道23号線にでました。
県道23号線を超えても二ノ堰を追いかけられます。
ただし、車は無理で、徒歩かチャリになります。
したがって、Google Map ロケ隊も、ここには入れないので、ストリートビューはありません。
ずっと、お寺街で、右の高い建物はマンション
そして、県道24号線の立体交差が近づきます。
大きい分水工の手前の二の堰
鉄の凹字水路に吸い込まれる二ノ堰の水
向かって右の茶色の鉄製凹形水路が、二ノ堰水路の水を渡す橋になっている。
気をつけて見ないと、沼川に架かるただの橋のようだが、実際は、世の中にあまりない、川の上の川なのだ。
だけど、寒河江市民といっても、こんな場所を歩いて通る人は、あまりいないはずなので、知っている人は、ほとんどいないようです。
鉄製の水路などなかった昔は、どのようになっていたのか、知りたくて、いろいろ探しましたが、ネット上ではあまり資料がなく
それでも、昭和30年くらいの寒河江市の地図、見つけて見比べてみたところ、沼川と二ノ堰の関係は、ほぼ現在と同じでした。
交差水路の南から上流を見ています。
写真、左手に左沢線をまたぐ高架があり、後ろ側は線路のために行き止まり。後ろ右のほうも一般住宅の駐車場のようです。
したがって、人があまり見ることのない二ノ堰の案内板
二ノ堰の鉄製凹形水路が溢れる場合、下の沼川に分水するための水路もあります。
鉄製は情緒がないので、アーチ型石橋にして、観光のポイントにしたらいかがでしょう?
レポート・・・了