最上町赤倉(富沢)のトロッコ橋


2017/11/05(日)

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2013年にカメラマンは、なぜか『富沢小学校』に入って、なにかを行いました。(空き巣ではない)そこから、歩いてもすぐの場所に、その最上町が誇る文化遺産『トロッコ橋』はあったのです。
この写真では、ただの荒地の草ぼうぼうの場所です。『地域の宝、文化遺産、トロッコ橋、114.1メートル』の案内板があります。 草ぼうぼうを進むのは置いておいて、脇から橋を撮影します。なにも知らなければ、ただの車のためのちょっと古い橋です。 東方面です。向かって右のほうが赤倉温泉で、左に前述した橋があります。
まっすぐ進めば、橋の下まで行けるようですが、たった一人で脱輪するのはカッコ悪いので、手前の空き地にちょっと停車して、歩いて下りて行きました。 鉄橋の枕木のように、木が横方向に置かれています。そして、杉林へと橋は吸い込まれていきます。 この橋はてっきり、小国川に架かっているものだと思っていましたが、そうではなく、堺田の分水嶺からの川、明神川に架かっているのです。そして、向こうの山が明神山だそうです。 なんでこんな物件に興味を持ったかといえば、某有名廃道廃線サイトで、見つけてしまったからです。この数年、山形県についての記事が、ほとんどなくて、あまり読まなくなっていましたが、なぜか偶然発見しました。
台風で増水した時の流木が橋げたに、ゆくえを妨げられていました。 そのレポートは2006年のもので『トロッコ橋』の案内もなく、色が赤くはなくて、白色でした。 東方面で、左の明神山沿いに国道47号と陸羽東線が走っています。 それで、この橋についての、最上町関連のサイトも見つけたのですが、文字化けして読めませんでしたが、ちょっと表示方法を変えてみたら見れたので引用しておきます。以下引用
新田集落の戦後の歴史を見続けてきた「トロッコ橋」。 大森山の木材を現在の赤倉温泉駅までトロッコで運ぶために明神川に架けられた橋です。 新田集落のシンボルでもあるトロッコ橋を地域おこしに活用しようと、7月に「トロッコ橋活用委員会」が設立し、 活動の手始めとして、老朽化した橋の一部補修することになり枕木や歩み板の交換作業を行いました。今後、トロッコ橋を活用したイベントを行なう予定でいます。以上、引用終り
さて、上に戻って草ぼうぼうを進むと、見えてきました。100m以上ものこのような細い廃橋、なんとなく無気味です。
この草からすると、最近はほとんど通行がないものと思えます。 橋の歩く部分の床板はまだ使用に耐えられるようですが、欄干は、塗装したばかりとはとても言えないほど時間が経っているような状態です。 対象物がなにもないと、大きさがいまいち分からないので、自己責任でちょっとだけ、進んで何年かぶりのセルフタイマーの自撮り 富沢の集落(新田ともいうよう)を撮影して、レポート完了