戊辰戦争 庄内藩の本拠地


2019/10/30 (写真 2019/05/26)

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NHK山形の某若手ディレクターが酒井玄蕃の戊辰戦争での連戦連勝を知って、 私と同様に『庄内藩と酒井玄蕃をメージャーにする会』NHK山形支部を結成し、本社と掛け合ったのか、 2019年09月04日、歴史秘話ヒストリア『西郷隆盛と最後まで闘った男 酒井玄蕃』という番組が放送されました。 番組紹介のポスター、テロップは、福山雅治みたいなイケメン若武者の写真が中央に、向かって左に空想の西郷どんの絵、
右に、亡くなる前の酒井吉之丞(玄蕃)の写真になっています。 9月4日に、本放送があった時は、みごとに見逃し。 だいたい、最近は、もう寝ちゃう時間ですし、チャンネル権(そんなものを持ってた覚えもあまりないけど)喪失して長いので、 まったくノーマークで、放送後、大分たってから、ある方のFACE BOOKで知って、あわてて10月2日再放送の録画予約をし、見た次第です。
進行の渡邊佐和子さんが、いろんな資料で話す構成で、直木賞作家で『新徴組』を書いた佐藤賢一さんも、長時間登場出演、 ああいった番組にすると、文字でしか知ってなかったことが、映像として広がってくるので、私にとっては、とてもすばらしいものでした。 ちなみに福山雅治と多少似ている酒井玄蕃役の俳優さんは崎本大海という人で、Wikに書かれているので、それなりの方のようです。 録画データは、また見るときのため、保存しておきたいのですが、テレビの画像の場合は、やり方が、大変面倒なようで、
知識も道具もないので、何ヵ月後には、新規録画により、消されてしまう運命のはずです。 絶対消さない設定にしてても、数年で、ハードディスクが壊れるので、ダメなのです。 さて、写真は、2019年5月、初めて鶴岡の『致道博物館』に、お金を払って、入って見学した時のものです。 私めが、目をつけると、今回のNHKのように、なにか大きいものが動きます。たとえば、滝の写真集を作ったら、山形新聞で特集やったり
棚田を撮ったら、山形県で、棚田20選とかやって、いろいろ宣伝し出したりし、金山町谷口の『がっこそば』で、食ったら、全焼したり けっこう、貢献していると思われるのです(何に?) 戊辰戦争における庄内藩の連戦連勝は、ある程度知っていましたが、その知識も、天童、清川、新庄あたりまでで、現在の秋田市を包囲し『会津の恨みを秋田で晴らす』状態一歩手前までいっていたのを知ったのは、このごろです 『致道博物館』に、その酒井吉之丞(玄蕃)の資料が、あるかないかは、Official site を見ても良く分からなかったのですが、何かはあるだろうと、とにかく行ってみました
『旧西田川郡役所』の中の一部屋が、戊辰戦争などの資料展示室になっていて、酒井吉之丞(玄蕃)の一枚しかない?写真、破軍星旗、スナイドル銃、大砲などが展示してありました ただ、ここに掲載してある兜や殿様の庭くらいしか、撮影してはいけなくて、山形駅前で、酒井玄蕃の写真を通行者に見せて「この人を知ってますか?」って聞いても、誰もわかるわけがない大きな要因であります 写真のフラッシュが貴重な資料に悪影響与えるというなら、撮影用レプリカを作って写させればいいので、ああいうものは、出し惜しみしないほうがいいと思います 日本的に、あれだけ活躍した庄内藩、その代表選手、酒井吉之丞(玄蕃)を紹介するには、ちょいと物量不足の展示室という感じでした
『金山の戦い』にも書きましたが、2019年09月04日放送、歴史秘話ヒストリア『西郷隆盛と最後まで闘った男 酒井玄蕃』の視聴室が欲しいところです さらに、やはりNHK BSプレミアムで2017年1月に放送された黒木メイサさん主演「花嵐の剣士 〜幕末を生きた女剣士・中澤琴〜」という時代劇ドラマも見させてくれたりしたら、庄内藩の名は一挙にヒートアップまちがいなしです
最近、作家、黒崎視音さんが『緋色の華 新徴組おんな組士 中沢琴』という文庫を出版して、現在、読書中です。黒崎さんは『警視庁心理捜査官』などを出版していて、時代劇は、初めてなんじゃないかと思いますが、楽しみです なんで、琴さんかと言うと、新徴組の隊士で、薩摩藩邸の焼き討ちから、多分秋田戦争でも大活躍した(まだそこまで読んでいませんが)のであります
 
物語は『西郷隆盛と最後まで闘った男 酒井玄蕃』に戻り、薩摩藩というか西郷隆盛の陰謀とされる、 江戸市中での押し入り強盗、さらには辻斬り、放火などのやりほうだいの薩摩御用盗から始まります。 どうしても武力の行使による政権奪取でないと、革命という文字の政権転覆にならない。 ちょっとは徳川幕府軍を戦争でやっつけないと、ただのうまくやった無血クーデターと評価されてしまう。
それでは、なんか、かっこ付かないと思ったのかどうかは、分かりませんが、相楽総三に 「総三どん、ここで暴れまくって、見回りの庄内藩に薩摩屋敷を家宅捜査させて、反抗して、ちゃんばらになって、こっちに犠牲者が出たらしめたもんでごわそうろう。 幕府軍をやっつける、いい名目になりもうそう。成功したら、坂本竜馬のようなヒーローになりごわそうろう」 などと、わけの分からないことを言って、煽てたかどうかは、二人とも、何も言わず死んじゃっているので、定かではありませんが、
薩摩藩の益満休之助、伊牟田尚平らが、御用盗の頭目、下総郷士の相楽総三とその配下の浪人を、うまいこと操って、暴れまくったのであります。 後日談ですが、西郷は、この陰謀を、よほど隠蔽したかったのでしょうか、相楽が西郷の言うことを聞かなくて、好き勝手にやっちゃったのでしょうか、 相楽が結成して東山道軍として進軍した赤報隊を『偽官軍』として、鎮圧し、相楽を殺してしまうのでした。 益満、伊牟田の二人も、1868、9に亡くなりました。こっちは、西郷が殺したのではないようですが、怪しいのかも。
とにかく、岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通、長州の吉田松陰グループらは、やりたい放題で、真実は闇の中 前述の『緋色の華 新徴組おんな組士 中沢琴』を2019年10月22日、即位礼正殿の儀の日に読み終わりました。 中沢琴の兄の新徴組組士、中沢良之助の子孫、中沢貞祇氏(さだまさ?)さんから話を聞いたと、巻末のあいさつに書いてありました。 そういうところに歴史の真実は、隠されているし、ころがっているものと思っていますので、そういった人に巡り合えるのも、作家としてすごいなと思えます。
ちなみにWebでは、中沢良之助の別名が貞祇という文書が多いのですが、どこかで取り違えがあったような!? フィクションなので、どこからどこまでが史実で、どの部分が架空なのかは、読む人の推測に任かされるわけですが、 江戸薩摩藩邸にものすごい薩摩示現流の達人がいたという記述が『中沢琴』と佐藤賢一の『新徴組』の両方に書いてあります。 『中沢琴』では、頬に百足の傷がある不気味な殺人鬼、弓張重兵衛、『新徴組』では沖田林太郎が、なかなか倒せない鬼にも似た剣豪が描かれています。
共通点が多いので、庄内藩の戊辰戦争の資料のどこかに、それらしい人物がいたのだと思われます。 庄内藩士と中沢琴の絡みとしては、琴は、松平権十郎と一番会話しています。 菅實秀は、いつも松平権十郎の隣にいて、10歳くらい年上なので、しかめ面で分別くさいことを言っています。 参考までに、左から若い順に、酒井忠篤(11代当主)、酒井吉之丞、松平権十郎、菅實秀となっていて、それぞれ10歳くらいずつ違うようです。
新徴組が京から江戸に戻った時、庄内藩幹部の鼻筋の通った美青年が、何回か登場し、てっきり酒井吉之丞と思いながら読んでいました が、それが権十郎なのです
歌舞伎役者の市川団十郎か松平権十郎かと江戸で人気のあったご家老だったそうです。
Web上で探せる松平権十郎の写真には、中沢琴が出合った凛々しい青年像はなくて、オッサンになってからのものばかりでした。 新徴組が江戸市中取締りをやって、その最盛期に事件が起こります。
1865年12月12日、千葉雄太郎、羽賀軍太郎、中村常右衛門の三組士が、神田明神前で暴行をはたらいていた旗本、永島直之丞をその場で殺害しました。 旗本でも悪事を働いたら取締る規則だったのに、幕府の一部から「新徴組を廃止するぞ!」と脅され、新徴組の存続のために三人は自発的に飯田橋の新徴組屋敷で切腹しました。
この事件は、史実として書かれていますのでノンフィクションです。この中の千葉雄太郎のくだりが、けっこう重要な部分になっていますが、それは小説におまかせ
秋田戦争において、新徴組は大隊長水野藤弥の庄内藩第四大隊に組み入れられ、500人の大隊のうち、新徴組およそ100人が別働奇襲部隊、
鳥海山山頂に登り、大物忌神社で世が明けるのを待ち、山道を駆け下がり、矢島城を攻撃する作戦でした。
鳥海山方面の矢島への入り口は、鳥海山東側麓の山道を巻いて、百宅(ももやけ)に出て、西に進むのが一般的でした。 秋田、薩長軍は、当然、庄内軍がその方面から攻めてくるものと、百宅で待ち構えていました。 第四大隊400人の本隊は、山形から百宅への峠、鍋倉峠に宿泊し、百宅へ進撃、
そこで、戦闘は開始され、ドンパチやっているさなか、新徴組も矢島城手前で秋田勢へ攻撃 しかし、奇襲を予測していたかのような矢島藩の迎撃に、けっこう苦戦を強いられながら、 なんとか文字通り切り抜け、矢島城の制圧に成功、時、1868年7月28日 一、二日遅れで第一、二大隊も、仙台藩が壊滅した二週間前の及位の戦闘の逆コースで、秋田領、院内へ攻め込み、占領しました。
新徴組の鳥海山からの矢島攻撃については、『中沢琴』と佐藤賢一の『新徴組』の両方で、 山頂での野宿の寒さとか、急峻な登山の過酷さとか、同じような記述がしてあります。 活躍する主人公が『中沢琴』では、中沢琴、『新徴組』では沖田林太郎(新撰組、沖田総司の義兄)になっています。 話は飛びますが、藤沢周平が、庄内藩のノンフィクションを書かなかったことが、庄内藩の戊辰戦争がメージャーにならなかった要因と言っている文書をいくつか見つけました。
周平さんの、割りにノンフィクションっぽい作品は清河八郎を書いた「回天の門」ですが、それ以外の庄内藩物語は、 藩名、藩士名を変えたり、派閥を微妙に変更したりして、人物の特定をさせないように苦労してるのだそうです。 それは『安政の大獄』の庄内藩版があったからのようです。 井伊直弼の場合は、幕府vs水戸藩というように、弾圧する側とされる側が、まあ遠く離れていますが、
庄内藩版は、同じ藩内の、親しい藩士同士の出来事だけに、いろいろ難解な問題があり、 その残滓(ざんし)が、現在まで残っていて、周平さんは、なにも書けなかったようです。 周平さんが出来ないことを、あーだのこーだの書くのは、ちょいと躊躇うべき雰囲気でそうろうゆえ、このへんで終わり申す。