平清水青龍窯 田内大明神
2019/12/22
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2018/06/09 佐倉藩・柏倉陣屋跡 に『田内與七郎成伸』のことを書きましたが、平清水の青龍窯にある、窯の人たちが『田内与七郎』に感謝して建立した碑の写真を撮ってきました。
後に柏倉陣屋代官となる田内与七郎が、山形にやってきたのは1800年、14歳の時
それ以後は、ずっと柏倉陣屋のために働き、佐倉へ戻り藩の勘定頭となるのは1846年、60歳の還暦を迎えた時であった
1824年の暴風雨による大水害を乗り切り、7年にわたって続いた天保の飢饉(1833-1839)には領民のためにがんばった。
山形平清水焼が隆盛を得たのは与七郎の命を受けた沼木村名主の折原市十郎の功によるもので、後に田内大明神の大きな石碑が平清水に建てられたのはその功績をほめたたえたもの
これは、近所の石碑群