千歳公園・千歳山公園の石碑

  


「お前が証人だ」 -バターン死の行進の報復-  より

第二章 続・お前が証人だ

 物部守屋と山下奉文

 山形市松山の千歳山公園に、物部守屋の碑がある。明治二十九(一八九六)年十二月二十三日の建立で、篆額(てんがく)が有栖川(ありすがわ)宮熾仁(たるひと)親王、撰書が伯爵東久世通禧である由が刻されている。熾仁親王は、
 宮さん宮さん、お馬の前にひらひらするのはなんじゃいな、トコトンヤレトンヤレナー
 の「トコトンヤレ節」(軍歌第一号ともいわれる)で有名な官軍の総大将。そんな有名な大将の篆額のある碑なのだから、少しは大事にされてよいはずなのに、今は顧みる人もない。蔦を這わせて空しく立っているだけである。
 物部守屋(?―五八七)は、仏教伝来に反対し、蘇我馬子(?―六二六)と争い誅伐された人。廃仏毀釈の叫ばれた明治時代に、その復権を主張する人達が現れてもおかしくなかった。こういう碑が他所にも建てられたか、出羽国だけかは知らないが、とにかく今は振り返る人もなく、ただ立っているのは淋しい感じがする。権力争いに敗れた人の復権の難しさを感じさせる例である。

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