以下、有栖川さん東久世さんについて
有栖川熾仁親王<たるひとしんのう> 1835. 3.17(天保 6. 2.19)〜1895. 1.15(明治28)
有栖川宮9世。幼名は歓宮。幟仁(たかひと)親王の第1王子、母は佐伯祐子。京都生れ。
親子内親王、のちの和宮婚姻の内旨を受けていたが、大老井伊直弼の公武合体策のため解消したことは有名。
1868(慶応 4) 東征大総督となり参謀西郷隆盛とともに東下
1870(明治 3. 2.) 水戸藩主徳川斉昭の11女貞子、つまり慶喜の妹と結婚
1895(明治28) 病死
東久世通禧<ひがしくぜ みちとみ>(1833-1912)(天保4−明治45)公家
8月18日の政変で追われた七卿の1人。
長州兵に守られて周防三田尻に逃げ延びる
この際に官位を剥奪され、大藪竹斎という変名を用いるようになる
王政復古によって帰洛し、政界に復帰する
明治新政府の下では外交事務を掌握する
明治2年8月 第2代開拓長官に任命される。
明治2年9月 開拓判官ほか官吏、農工民200名を率いて函館へ赴任し、開拓使函館出張所を開庁。行政機構の整備、諸藩分領支配の統轄、札幌本府の建設、樺太開拓使の新設など初期開拓行政の推進につとめた。明治4年、
開拓使札幌本庁へ赴任。これより開拓行政の中心は函館より札幌に移り、北海道の開拓は新たな段階を迎えることになる。この年の10月、侍従長に転ずる。
明治4年 岩倉使節団に同行し、翌年帰国する
その後、元老院、貴族院、枢密院等で活躍する
享年79歳
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