短くなった赤煉瓦煙突 東根市長瀞の工場跡 |
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年月日が2010年11月
なので、この丸い赤煉瓦煙突の、ありし日の姿を撮影しているのは、かなり奇跡的なことだったと、いまさらながら感激しています。あと4ヶ月遅かったらこの写真は残っていませんでした。 2010年11月 |
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東日本大震災後の翌年10月に再訪してみたら、案の定というか、高さが半分くらいになっていました。 2012年10月 |
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思い出せませんが、どなたかのサイトで、製糸工場という説明があったような記憶があります。 2010年11月 |
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2012年10月 |
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戊辰戦争の時、長瀞は庄内藩酒井家の親戚の殿様の米津家が治めていて、1868年春の戦いで、庄内藩が天童の小田藩と戦争し、天童の城下町を焼け野原にして、その時隠れていた吉田大八が、仕返しに襲撃して炎上させたとのことだが、天童よりも、趣のある古い建物は多くあるように思います。だけど、この工場も、いずれ更地になって、別のなにかが建築されるのでしょう・・・ 2010年11月 |
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