高畠町 犬の宮・猫の宮


2024/11/09(土)

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動物病院で亡くなった犬や猫を、拝むような名前の神社が高畠町にあるのは、大昔から知っていましたが、なんとなく訪問しそびれていて、この日が最初の見物 11月9日で、この日はけっこう寒くて、時間帯も日没も近かったので、お会いした訪問客もいなくて、静かな見物でした 奈良時代から平安時代にまつられたと由来書には書かれているので、かなり古い神社だが、祀る対象が人間でないので、見るほうもわりに気楽 高畠町の中心部から近距離にあるので、熊の心配はなさそうだが、油断は大敵
高畠町のHPに載っている犬の宮、猫の宮の由来文章を引用させていただき、細切れにしてコメント欄に貼り付けます 以下、高畠町のHP『犬の宮の由来』からの引用  和銅年間(708年〜714年)都から役人が来て村人を集め「この里は昔から年貢も納めず田畑を作っていたが、  今年から年貢のかわりに毎年、春と秋には子供を差し出すように」といい、村では大変悲しみ困っていた。
 ある年、文殊堂帰りの座頭が道に迷い、一夜の宿を頼んだところが、今年の人年貢を差し出す家だった。  ある夜、役人が現れ、ご馳走を食べながら「甲斐の国の三毛犬、四毛犬にこのことを知らせるな」  と何回も念を押して帰るのを耳にした座頭は甲斐の国に使いをやり、三毛犬と四毛犬を借りてこさせ、いろいろ知恵を授け村を去った。  村人は早速役人を酒席に招き、酔いが回ったところに、2匹の犬を放ったところ大乱闘になった。
 あたりが静まり返った頃おそるおそる座敷を覗いてみると、血の海の中に子牛のような大狸が2匹と多数の荒狸が折り重なって死んでいた。  そばには三毛犬、四毛犬も息絶え絶えに横たわっていた。村人は必死に手当をしたが、とうとう犬は死んでしまった。  この村を救った犬を村の鎮守とせよとのお告げにより、まつったのが現在の犬の宮といわれている。 以上、引用おわり
そして、犬の宮の北側に猫の宮はあります 以下、高畠町のHP『猫の宮の由来』からの引用  延歴年間(781年〜805年)高安村に代々庄屋で信心深い庄右衛門とおみね夫婦が住んでいた。  2人には子供がなく、猫を心からか可愛がっていたが、なぜか次々と病死してしまう。
 今度こそ丈夫な猫が授かるように祈っていた。ある夜、同じ夢枕に観音菩薩が現れ「猫を授けるから大事に育てよ。」  とのお告げがあり、翌朝庭に三毛猫が現れ、夫婦は大いに喜び、玉と名付けそれはそれは子供のように大切に育てていた。  玉も夫婦にますますなつき、そして村中のネズミをとるのでたいそう可愛がられていた。  玉は不思議なことに、おみねの行くところどこへでも付いていった。
寝起きはもちろんの事、特に便所へいくと、天井をにらみ今にも飛び掛からんばかりに耳を横にしてうなっている。 おみねは気持ちが悪く思い、夫にそのことを話してみた。  夫が妻の姿をして便所に行くとやはり、玉は同じ素振りをする、庄右衛門はいよいよあやしく思い、 隠し持っていた刀で猫の首を振り落とした瞬間、首は宙を飛び屋根裏にひそんでいた大蛇にかみついた。
 この大蛇は、70数年前に三毛犬、四毛犬に殺された古狸の怨念の血をなめた大蛇が、 いつかいつの日か仕返しをしようとねらっていたが、玉が守っているため手出しできなかったのだった。  この事を知った夫婦は大いにくやみ村人にこの事を伝え、村の安泰を守ってくれた猫のなきがらを手厚く葬り、 堂を建て春秋2回の供養を行ったという。
以上、引用おわり
高畠町の野球場の西はずれから南に行く道路を少し進むと、この案内標識がありますので、ここからすぐです・・・以上、終了