サンタクルスの近くには日本人の町があり、泊まったホテルでそこの人といっしょになる。
サンタクルスからサンパウロまで国境で乗換えはあるものの44時間の電車の旅である。最初の12時間くらいは座席空きがなく通路にすわっていたような。アルゼンチン人のヒッピー二人と仲良くなり、訳のわからないカステリャーノで話しながらサンパウロ着。彼らが選んだホテルはドヤみたいなとこで20畳くらいの部屋に雑魚寝。まわり黒人だらけでまた新たな経験をしたのであった。
夜が明けて彼らと別れガルボンブエノの日本人町へ行く。大阪屋というホテルをなぜか選択し、二週間くらいいたか。とにかく日本より古い日本が残っている街であった。同室に移民崩れで時計職人のじいちゃんがおり、ブラジルの昔話をいろいろ聞き感じ入ったのであった。移民崩れなどというと暗い感じだがそのじいちゃんは明るい明るい「日本に帰って死にたいとか思ったこともない」と言っていたのが印象的であった。あの時60歳とするとまだご存命かも。そんな人もいっぱいいたのだ。
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