清川八郎の墓地 歓喜寺  
   
 
『天保飢饉義民十三名之慰霊碑』

藤沢周平作『義民が駆ける』は1840年(天保11年)の天保国替騒動(三方領地替え)に反対活動を行った農民たちを義民と呼んでいるが、歓喜寺の義民はそれとは別な話である

天保の大飢饉(天保4年/1833年)で、食べ物がなくなった農民の窮状を救うために、16人の農民が、清川八郎の親父が管理していた庄内藩の預かり米の土蔵に刀を持って押し入り、11俵の米俵を奪って逃げたが、捕まって15人が斬首の刑となった・・・清川八郎の親父や一族は助命、減刑を嘆願したが、やられちゃったらしい・・・の農民を顕彰したもの・・・