清川八郎の墓地 歓喜寺
画像から読みました
今を去る百四十年前天保年間打ち続く凶作に餓死者の続出を救済せんとして 敢えて官米倉庫を開放した罪により鶴岡郊外の刑場髭谷地で打ち首の極刑を受けた 義民十五名の慰霊碑建立を発願せるに清川村住民三百二十有余名の賛助に寄り 茲に其の工を竣え義挙に対し感謝の誠を捧げ冥福を祈ると共に永く後世に伝えんとす