最上三十三観音 第9番 松尾山観音


2024/09/01(日)

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蔵王半郷から蔵王温泉への登り口に、観音様があるのはずっと昔から覚えがあったが、小さいときは、神社仏閣にまったく興味がなくて、当然訪問したことも皆無 年を重ねて、多少は古いものに興味を持ち始めてはいるが、あまりにもま近にあるせいか、あまり賑わってはいないせいか、この日まで訪問することはなかった 残暑のきびしい9月1日の午後、家にいるのも暑ぐるしいので、訪問してみた なかなかいい場所だと書いてあるサイトは見つけるので、Wikiに丁寧な説明が書いてあるものと思い調べてみるが見つけられない
なにもコメントなしでは、なんの勉強にもならないので、調べると、一番公共的で、引用しても問題な指そうなのは『最上三十三観音』のサイトの中の『第9番 松尾山Matsuosan金峰山 松尾院』のページのようだったので、以下、説明を引用 山形市の南、蔵王半郷は蔵王の玄関口に当たる。松尾山観音堂は納経所の松尾院から500メートルほど奥まった場所にある。 脇立の勢至菩薩は高さ3.03メートル、ともに行基の作。 歴史・由来
元明天皇の和銅元年、行基がここに野宿し、大きな松の木の下で眠っているとき、無量寿仏、観音、勢至の三仏が柱の木に留まる夢をみた。
行基は山に深く入ってゆくと、夢でみた通りの老いた桂の大木があったので、これを切って三仏を彫刻した。 続いてお堂を建てて、その仏像を安置して弥陀山と名づけた。そして松の木の下で、このような有難いお告げがあったことから、松尾山松応寺と呼ぶようになった。 その後、六百四十年余り経って、斯波兼頼が山形城に移ってくると、国土安穏と武運長久を祈るため、山地百二十間四方を境内として寄進した。 応永年間、この寺に盗賊の一団が襲ってきて、仏像を盗み出した。
賊は弥陀山を下って半郷から成沢までくると、急に天候が変わって、滝のような豪雨が降ってきた 付近一帯は洪水のようになり、賊たちは仏の罰の恐ろしさに無量寿の像を捨てて逃げ、他の二つの像も途中で置き去りにしてしまった。 無量寿の仏像は洪水に流されて行方知れずになったが、観音と勢至の二仏像は、半郷の里人が大切に保存し、お堂を建てて祀った。 観音堂は昭和61年12月20日、重要文化財(国)に指定。観音・勢至の両像は県有形文化財になった。
他にも山形市指定の文化財、天然記念物等が多く、参詣の人々の関心を集めている。 以上、引用終わり りっぱな茅葺屋根の本堂、隣の弁財天のお堂、カツラの木、松尾川のせせらぎ、石の太鼓橋などなど、撮影オブジェ物件はたくさんあります しかし、説明を書く知識も、資料もないので、以下は、撮影写真の列挙だけになります
『松尾山観音』レポート、とりあえず、ここまで