河北町 三篋の塔


2024/09/08(日)

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河北町は町の中心部の動物園や中央公園の『いもこ列車』、あとは紅花資料館くらいしか訪問実績がなくて、GoogleMapで周辺部を調べていると
 
弥勒院の少し北に「三篋の塔」というのを見つけ、地図に目印を付けておいて場所を探して、発見しました。案内板があったのでカメラにおさめ、テキストにしてみました。以下その文章
 
 「三篋の塔」は、源義経の四天王に数えられた湯の荘司佐藤継信、同妻尼王、継信の弟忠信の供養塔であるという。継信の子義忠は、父が屋島に戦死すると、母尼王と共に弥勒寺に身を寄せたが、尼王の没後、三人の霊を弔って、三篋の塔を建立したと伝えられる。  三篋の塔のそばには朝印房と称する庵があって、この塔の墓守りをしてきたが、寛永十七年(一六四○)にここの住僧宥朝が、北口に長慶寺を創建して移ったため、朝印房はその後無住の庵となった。
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なんと日本史のメージャー選手、源義経の有名な家来の佐藤継信、佐藤忠信兄弟の供養塔が、河北町にあったんだとさ お墓ではなくて供養塔だから、騒ぐほどのこともないと学芸員の先生たちはあまり売り込みをしなかったのか、義経や佐藤兄弟のことは知っていましたが、カメラマンはこの塔のことを始めて知りました。 NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の十三人』で、ちょっとでいいから紹介してもらったりしたら、お盆の花などがお供えされているのを見ることが出来たかもしれません GoogleMap に載っているとはいえ、塔の場所は、道路も狭くて、かなり、わかりづらかったでした
観光客が大勢やってきたら自動車の駐車スペースもままならないようなので、教育委員会で宣伝はしなかったのかもしれません 「佐藤兄弟の純忠壮烈は後の世までも賛えられ、〜〜苔むす石塔にまつわる史実の如何はともかくとして伝承の跡は永く保存しておきたいものである」 前ページ案内板の文章にあるように歴史的に貴重だし、後世に残すべき遺産なのだから、もう少し世の中に広まるようにして欲しいと思います 河北町には歴史的なものは『紅花資料館』くらいしかないと思っていたのは、間違いで、もっと古いすごいものも多くあるようです
人家はありますが、撮影の間、人と出会うことはありませんでした 弥勒院から北上した場所です 北を見て左に曲がった道路の突き当たりが塔の場所 アップしないとこのようになにがあるか分からないので見逃しそうです・・・ 「三篋の塔」レポとりあえず完