河北町 三篋の塔  
   
 
  「三篋の塔」は、源義経の四天王に数えられた湯の荘司佐藤継信、同妻尼王、継信の弟忠信の供養塔であるという。継信の子義忠は、父が屋島に戦死すると、母尼王と共に弥勒寺に身を寄せたが、尼王の没後、三人の霊を弔って、三篋の塔を建立したと伝えられる。